人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

比べずにはいられない性

年齢の割に稼ぐほうだ。

あまり時間にも縛られず

プライベートを楽しむゆとりもある。


大好きな人もいる。

近く一緒に住む。


全部自分で選んでる。

何をして働き、誰を愛し、どこに住み、

全部自分で選んで、今の私がある。


だけれど、

全てを自分本意で決められるわけじゃない。

例えば、家が貧しいからとか

継がなければいけない家業があるとか

一人っ子だからとか

いろんな条件で生きていて

その中で、瞬間・瞬間の

「最善」と思しきものを選ぶのだ。

誰にでもあることだ。


裏返せば、

環境や社会によって

選ばされている選択もある、ということ。

結果として、自分で選んだものでも

「もし違う状況だったら」と

選択を悔いたり

選ばなかった選択肢に

思い焦がれたりする。


SNSで流れてくる

もう10年以上会っていないような

かつての親友の今。

起業して、成功した事業を

華々しく投稿したり

大企業を辞めて

好きなことをするために留学をし

現地の美しい風景を投稿したり。


生きてれば、うまくいくことばかりじゃない。

この子たちにも

それなりの苦しさや不満はあるはず。

わかっていても

なんだか自分だけが

思い通りにならない世界にいるみたいに思う。


何かを得れば何かを捨てなきゃいけない世界で

私は私の最善を生きているはずなのに。


人に恥じるような生き方はしていないし

この子たちの生き方と優劣がつけられるわけではないけれど

自分で自分を納得させるのが難しいのは

なぜなんだろう。