人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

当たり前の幸せをくれる人と言うものかこれが

11月に大阪への出張が決まった。

ふと、学生時代の友人を思い出した。

ゼミが同じだった彼女は、

サークルの先輩であった旦那の転勤で

大阪へ引っ越して行った。


LINEで連絡を取ると

旦那は大阪勤務の後に異動となり

今は金沢にいるそうだ。

ついでに、今は子供が2人いることも知らされた。


30代にもなれば、珍しくないことだ。

過去の友人のことを思い出して

「久しぶりに会ってみたいな」と思うのは

自分だけなのではないかと気後れしてしまう。

結婚もせずに単調に仕事をする日々で

人生のステージが自分だけ変化していないような

相手に対して気まずいような

自分の現状が疎ましくなるような。


そもそも、友人全体の母数が少ない。

あの子は今は留学中、

あの子は今は海外赴任中、

あの子は東京で残業三昧だ、などと考えていると

ちょっとご飯でも、と言える友人は皆無だ。


そうなると、やっぱりこいつだ。

学生時代の共同研究者。

なんだかんだで月に一回くらい

嫌な顔をせず付き合ってくれるのだ。

脈絡もオチもなく、

ただ聞いてほしいだけの女の話に

男のくせに嫌な顔をせずに付き合ってくれる。

沈黙になっても苦ではない。


なぜか、こいつと食べるご飯は進むのだ。

1人で食べるよりも

ご飯の味がちゃんとする。お酒も美味しい。

女同士特有の、

互いの現状を競い合う空気も

相手の顔を伺いながら

いかに詮索を入れるかという卑しい空気もない。

こいつだからなのか、男だからなのかは

わからないけれど。


思えば、家族が揃って食事をするような家庭に育たなかったため、

誰かと相対して食事をするという機会が

幼少期から少なかった。

その機会があったとしても

兄は無口だったし

私と何を話して良いかわからない父は

私との間に新聞紙の壁をつくって

目を合わせようともしなかった。


こいつと食事をしていると

これ美味しいね、とか

今日こんなことがあってさ、とか

そんな些細な経験が、私にはなかったことに

改めて気づかされる。


ひたすら好きなものを食べ

仕事のこと、映画のこと、歴史のこと

互いの話したいことを話し

またねと別れる。


その「また」は比較的すぐ来る。

こんな確信が持てる関係は

目に見えないものは信じない私には

とても貴重なのだ。

だって、ありふれた当たり前は

決してその辺には落ちていないことを知っているから。