人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

戒めと快楽の天秤

身近な人が命に関わる病気になったとき

その治療のために必要な

つらい闘病生活を目の当たりにしたとき


ああ、私は気をつけなきゃ、と

なぜかその事実を教訓にしなければいけない気持ちになる。

その病気の原因も明確でないにも関わらず

まず「気をつける」の矛先が

真っ先に向くのは大抵の場合 食べ物だ。


お酒、コーヒー、甘いもの…

健康本に載っている、

健康のために自粛すべき食べ物と言われるものはいろいろある。


母がお菓子作りが好きだったためか

私は甘いものが好物だ。

ブログのタイトルで

人生をミルフィーユに例えるくらいである。

その母が病になったのだから

甘いものはその原因かも…と

結びつけることは容易にできる。


だけど、

完全に「不健全なもの」で片付けられない存在だ。

だって、甘いものを食べているあの時間

誰もが経験があるであろう

優しく心が緩むあの時間は

事実として、日常の細やかな幸せになっている。

それを幸せと感じる気持ちは、

そこに確実に存在している。


商談途中でお茶菓子として出される以外に

甘いものがある空間で

気持ちがせかせかしていることはほとんどない。


母がよく焼いてくれたチーズケーキを食べる昼下がり

女子会と称して、パンケーキをつつきながら

正解のない恋愛話を続ける夕暮れ時


甘いもの自体が、特別なものでなくてもいい。


たとえばスタバのパウンドケーキが共にあることで、

家で一人でいては気の進まないような仕事にパソコンを立ち上げてみるところまでを行動に移すという、気持ちのゆとりが生まれるというようなこととか。


ふとケーキの中の栗に気づいて

もう秋か、と感じることとか。


将来に向けての倹約は大切にしたいが

日常の細やかな幸せに罪悪感は感じずにいたいと思う。


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