人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

国家単位の人ぐり、本気で考えません?

昨晩から名古屋で仕事。

チェーンのコーヒーショップで仕事をしていると、店員が自動ドアに貼り紙をしているのが目にとまった。


「本日は台風の影響により、13時に閉店いたします。ご理解賜りますようお願い致します。」


この付近に近づいている台風に関する報道を

早朝にホテルのテレビでぼんやり観ていた。

三重県の海岸で大きく白波が立っているのを

話すのも立っているのもやっとという強風の中で

よろめきながら伝えているレポーターを観て、

「わかったからあんたも安全なとこ移りなよ。大変だね。」という気持ちになっているのは

多分、私だけではない。


窓の外に目をやると

交通機関の乱れに伴って

帰宅を許されたのであろう会社員が

たくさん歩いていた。


とても大きな進歩だ。少し前には見られなかった光景。


西日本豪雨などの痛ましい被害が記憶に新しいからかもしれないが、本来、こうあるべきだと思う。もっと言うと、天気予報はかなり正確で、いつ上陸するかなど数日前からわかっているのだから、思い切って始めから休業できることはするべきなのではないか。


社員の安全を確保するのも会社の義務、というのもあるのだが、働く上での生産性を安定化させるためにも、だ。


このネットワークが発達した時代に、決まった時間に満員電車に乗って決まった場所(会社)へ通う意味はなんだろうか。人が一箇所に集まっていなければいけない理由はなんだろうか。


会社じゃないと仕事ができない。…もちろん業種によってそれは事実かもしれないけれど、本当にそう?会社以外でやることを、考えたことがないだけじゃなくて?と思うのだ。


確かにセキュリティや情報管理面で、まだまだ会社でやった方が良い仕事というものもあるけれど、普段から、テレワークを視野に仕事をしておくことで、会社でやるべきこととそうでないことが分けて考えることができる。


このことで、個人レベルで時間を有効に使えるのは言う間でもない。今日のような日だって、わざわざ昼に帰されるなら、往復の通勤時間が勿体無いというものだ。会社で仕事するという観念を捨てれば、明日は台風が来るから、やらなければいけないことを今日中にやって、明日は近くの喫茶店で作業をしよう、とかできるわけだ。


国単位で言えば、これから労働人口が減っていくにあたり、いかに効率よく一人一人に働いてもらえるかというのは喫緊の課題であるはずだ。経済を維持していくため、埋もれてしまっている働き盛り(主婦など)の社会参画を促すためには「決まった時間に会社にいく」という風習は、かなりのハードルだ。その時間に、仕事ができる人だけに焦点にしか、焦点が当たらないのだから。


「会社に行く」という風習だけではない。お盆休みなどの長期休暇も、国民がばらばらに取れるようにしていくべき。国単位での労働量が均一化するように。せっかくの休みに、新幹線にぎゅうぎゅうに押し込まれて、かえって疲れなくていいように。


ワークライフバランス。私はこの言葉は好きではない。ワークとライフを天秤にかけて、究極的に「ライフ」を選ばない人っています?と思うからだ。ライフのあちこちにワークを盛り込めるようにすれば良いのだ。というか本来そういうものでしょ?


さて、新幹線に乗ろう。帰れなくなる。