人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

色褪せた花火

東京から実家に帰る新幹線の車窓。

乗車から時間が経つにつれ、吸い込まれるように暗い景色になっていくことで

日の入り時刻を過ぎ、

夜は夜らしく生活をしている町へ移っていくのだということを実感させる。

 

そう、夜は暗いもの。健全じゃないか。

昨日の夕方、銀座で接待を終えてから

私を配下に置いておきたくて仕方のない上司との

いつ終わるかもわからない反省会につきあって朝を迎えた

ぼんやりした頭で心底そう思うのだ。

 

無休できらめく町の生活は

一旦、進行方向向かって後ろに置いていく。

 

ふと窓に目をやると、

橙色の火花が空に丸い縁をつくり

ちらちらと消えていくのが見えた。

花火大会か。

故郷の町で、夏に開催されるもっとも大きなイベントだ。

次々と大きな花火が上がるはずなのだが

新幹線の過ぎ去るスピードが速いからなのか

目にしたのは、シンプルなその橙色の光だけだった。

 

新幹線を降り、ローカル鉄道の特急線に乗り換えて一時間。

いつもの同じ時間なら、

駅員とスーツの酔っ払い数人がいればまだマシな地元の駅のホームには

階下の改札口からぎゅうぎゅうと押し出されてくる人たちで溢れていた。

水色、ピンク、紫、黄色、いろんな浴衣の色が目に飛び込んできて

その流れ自体が、屋台に出ているピンポン玉救いの水槽の中のようだった。

いろんな色が、列を作って一定方向に流れていく。

 

浴衣の中高生カップル、小さい子どもを連れた家族連れが最も多い。

浴衣という特別な布に身を包み

「夏ならでは」を満喫し終えた高揚感が

夏の熱気で充満したホームを包んでいた。

 

その中の少数派である

普段通り仕事をしている駅員やサラリーマン、私を除いては。

こちらサイドからすれば

単に「ホームが混む・電車が混む」という事実だけを突き付けられ

全く迷惑な話だ。

電車を乗り換え、あと2駅進むというこの行為が

とてつもなく時間がかかることのように感じる。

 

向かいのホームの背後のビルの屋上に

一組のカップルがホームを見下ろしていることに気付く。

男は黒のストライプの甚平、

女は、私の人生では無縁レベルの濃いピンクの浴衣である。

お互い向き合って、

これから月9ドラマのようなラブシーン始めます!という空気が漂っている。

 

ほら、抱き合ったよ。チューしちゃったよ。

 

私だって彼らと同じような時代があったにも関わらず

なんだか遠い国の、異なる文化の暮らしの一部を見ているような気分。

 

たまにしか帰らない田舎にいるからなのか

人前チューが平然とできることへのルサンチマンなのか。

 

花火大会の日には、実家の2階の窓に顔をくっつけて

隣の家の木々で隠れる花火に、もどかしさを感じていたのに

いつから花火は「橙色の火花」になったんだろう。

 

中高生と言われた頃から15年もの間

花火に対するこの思考変化の代償に

どんなものが得られただろう。

何を感じられるようになっただろう。

 

実家の最寄駅に向かう電車がホームに滑り込んできた。

色とりどりのピンポン玉に背中を押され

私はまた、流れの一部になる。