人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

書くことと私

小学校低学年のとき

宿題でもないのに絵日記を書き漁っていた。

一年生の夏休みの読書感想文で

たまたま大それた賞をもらった私は

それで気分を良くし

毎日毎日絵日記を書いていた。


一日七ページほど。

その日あったこと、家族との会話、友達とのやりとり…

まだ習い事なんかしてなかったので

小学一年生が書くことなんてそれくらいだ。

ページ数が多いが、特筆するような出来事が毎日あったわけではない。


だけど、当時担任だった国語の先生が

毎日毎日、丁寧に赤線を入れ

コメントを書いてくれるのが無性に嬉しかった。

手元に返ってくるノートには

赤い波線や花丸でいっぱいだった。


考えて、ペンを動かして、活字化すると

自分の考えが、発言が、その日の行動が

形になる。

頭で浮かんだことをそのまま声にして

言葉にするよりも

冷静で、嘘のない形。しかも残り続ける。


中学に上がった段階で

私のものの書き方は大きく変わった。


中学校では、毎日提出する日誌があった。

当時、私には友達がいなかった。

特段、いじめと呼ばれるようなひどいことはされていないものの

日中はほとんど人と話すことはなかった。

あ、でも無視をいじめと取るのであれば

あれはいじめられていた、というんだろう。


日誌は、三行日記のようになった。出来事だけをただ並べていった。

担任は、一応見ているよ、の印に

無機質な日付印でそれに応えた。


一方で、誰にも見せることのない

小説めいたものを書いて

机に隠していたのもこの頃だ。

同世代の少女と水族館のイルカの交流物語で

今考えるとありえない物語展開がてんこもり。


だけど、静かにペンを動かしているのが

なぜか落ち着いた。

何のためにとか、誰かに見てもらうとか

縛りの一切ない、ただ書くという行為が許される

ノートの広さ分だけの自由空間。


今考えるとあの頃から

書くことに、同じことを求めてる。


どんな風にでもなれる。

どんな風にでも生きられる。

そう思わせてくれる自分だけの領域。

ずっと私を、ちょっとだけ生きやすくしてくれていた「書くこと」に

どんな変化が生まれるか噛み締めながら

私は、ちょっと生きづらい現代人をやりつつ

お付き合いしていくのでしょう。










何にだってなれる

どうにでも生きられる


そう思わせてくれる

自分だけの領域。