人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

がんを巡る母娘

「帰っていただけますか」

玄関で来客を締め出そうとする母の声がする。


年が明けて間もなく、

比較的あたたかい日の朝。

実家に戻っていた私は、

次の日に仕事始めを控えており

二階の自分の部屋で

Uターンの荷造りをしていた。


何事かと階段を途中まで降りかけ

聞こえた声で足を止めた。

祖母だ。

年末の大掃除をしていて、

娘である母の昔の写真が見つかり

渡しに来たのだそうだ。


祖母は信心深いところがある。

そのこと自体を批難するわけではないのだが

自身の心の安定を保つに収まらず

他人に押し付けて巻き込むところがあり、

それが原因で母は祖母と距離を置き

もう15年近く会っていないのだ。


「体調が悪いの。帰ってください。」

母は祖母が口を開くたびこう切り返し

久しぶりに会う母娘らしい会話を

頑なに成り立たせようとしない。


母は、夏に乳がんが見つかり

在宅で抗がん剤治療をしている。

告知を受けた段階から

祖母には言わないと固く決意し、

手術を終えた。


「風邪かね。まぁまぁ、、」

投薬期間中に風邪を引くと

治療スケジュールに支障を来すため

母は家の中でもかなり厚着で着膨れており、

着ぐるみのようになっている。

脱毛しているためニット帽をまぶかに被っているが、

季節柄か、祖母には大して違和感がないようだった。


一向に帰ろうとしない祖母に

「風邪じゃないんだよ、母さん」

こう言って、

母はニット帽を淡々と外した。

疎らな白髪に頭皮が露わになった娘の頭に

一瞬にして祖母の顔は凍りついた。

「あんた、、何のがんになったの?」


そうか。「がん」だというのはわかるのか。


私が生まれるのと入れ違いに死んだ祖父は

末期がんだった。

信心深い祖母は神仏にすがり

祖父の病室に祈祷師を呼んだり

神様の水だと言い張って

わけのわからない液体を

病に苦しむ祖父に飲ませていたと聞いていた。

その時の記憶から、

母は、穏やかに闘病生活を送りたいと

祖母に病状を伝えることを拒んだ。

神頼みする前にすべきことを考えるべき。

目の前の人の気持ちを考えるべき。

そう考える母は

それが出来ない祖母をいつも疎んじていた。


何故自身が忌み嫌われるのか理解していない祖母は

母に向かって手を合わせ

念仏を唱え出す。

特段取り乱すことも、泣くこともせずに。


「葬式くらい呼んでね」

そう言い残して、

不自由な右足を引きずりながら

玄関を後にした。


相手が全く理解できない信号を送り合う

そのやりとりを

私は階段の最上段から見下ろしていた。

長年蓄積された不調和は

数分の会話では解消されるはずもない。

互いが一言発するたびに

それぞれが自身の前に

重く冷たい壁を築くような会話が

開けっ放しの戸から吹き入れる風とともに

玄関の空気をシンと冷やした。

荷造りを終え、母に出発の声をかけた。

「いろいろありがとうね。自分の父さんの時は、私はあんたが私にしてくれるみたいに熱心に看病しなかった。がんだと知らなかったからね。隠されて。感謝してる。無事に帰ったらメールして。」

笑顔の瞳にうっすら涙が浮かんでいる。


母はがんと同時に

想像以上にたくさんのものと闘っている。

踏み入れない厚い壁の内側の母に

娘として何ができるのだろう。