人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

隙のないもの、壊しちゃえ

私の肌よりも
断然きめ細やか
目からその軽さがわかるほどにも関わらず
中身はぎゅっと詰まっているだろう
不思議などっしり感と
くっきりはっきりしたフォルム

もったいなくて崩したくない、というよりは
嫉妬心からすぐさまかき混ぜたくなる
かき乱したくなるほどの完璧なかたち。

それを計算してのことか
すぐにしぼむので
かき乱す快感が得られるのは
目の前に現れてから数秒だ。

中央に穴を開け、そこにソースを流し込み
かき混ぜるという食べ方に
何とも言えない優越感というのか
達成感というのか
そんな気持ちが沸き起こる

完璧なものが、そうでなくなる瞬間
自分の手で、そうでなくさせる瞬間を
柔らかな甘みの前に
頭の芯で味わう。

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国家単位の人ぐり、本気で考えません?

昨晩から名古屋で仕事。

チェーンのコーヒーショップで仕事をしていると、店員が自動ドアに貼り紙をしているのが目にとまった。


「本日は台風の影響により、13時に閉店いたします。ご理解賜りますようお願い致します。」


この付近に近づいている台風に関する報道を

早朝にホテルのテレビでぼんやり観ていた。

三重県の海岸で大きく白波が立っているのを

話すのも立っているのもやっとという強風の中で

よろめきながら伝えているレポーターを観て、

「わかったからあんたも安全なとこ移りなよ。大変だね。」という気持ちになっているのは

多分、私だけではない。


窓の外に目をやると

交通機関の乱れに伴って

帰宅を許されたのであろう会社員が

たくさん歩いていた。


とても大きな進歩だ。少し前には見られなかった光景。


西日本豪雨などの痛ましい被害が記憶に新しいからかもしれないが、本来、こうあるべきだと思う。もっと言うと、天気予報はかなり正確で、いつ上陸するかなど数日前からわかっているのだから、思い切って始めから休業できることはするべきなのではないか。


社員の安全を確保するのも会社の義務、というのもあるのだが、働く上での生産性を安定化させるためにも、だ。


このネットワークが発達した時代に、決まった時間に満員電車に乗って決まった場所(会社)へ通う意味はなんだろうか。人が一箇所に集まっていなければいけない理由はなんだろうか。


会社じゃないと仕事ができない。…もちろん業種によってそれは事実かもしれないけれど、本当にそう?会社以外でやることを、考えたことがないだけじゃなくて?と思うのだ。


確かにセキュリティや情報管理面で、まだまだ会社でやった方が良い仕事というものもあるけれど、普段から、テレワークを視野に仕事をしておくことで、会社でやるべきこととそうでないことが分けて考えることができる。


このことで、個人レベルで時間を有効に使えるのは言う間でもない。今日のような日だって、わざわざ昼に帰されるなら、往復の通勤時間が勿体無いというものだ。会社で仕事するという観念を捨てれば、明日は台風が来るから、やらなければいけないことを今日中にやって、明日は近くの喫茶店で作業をしよう、とかできるわけだ。


国単位で言えば、これから労働人口が減っていくにあたり、いかに効率よく一人一人に働いてもらえるかというのは喫緊の課題であるはずだ。経済を維持していくため、埋もれてしまっている働き盛り(主婦など)の社会参画を促すためには「決まった時間に会社にいく」という風習は、かなりのハードルだ。その時間に、仕事ができる人だけに焦点にしか、焦点が当たらないのだから。


「会社に行く」という風習だけではない。お盆休みなどの長期休暇も、国民がばらばらに取れるようにしていくべき。国単位での労働量が均一化するように。せっかくの休みに、新幹線にぎゅうぎゅうに押し込まれて、かえって疲れなくていいように。


ワークライフバランス。私はこの言葉は好きではない。ワークとライフを天秤にかけて、究極的に「ライフ」を選ばない人っています?と思うからだ。ライフのあちこちにワークを盛り込めるようにすれば良いのだ。というか本来そういうものでしょ?


さて、新幹線に乗ろう。帰れなくなる。







パンケーキ

東京の中でも
日比谷近辺は異国を歩いているように感じる。
石畳で美しく舗装された広い道
乱れず並んだ並木
いかにも都会、しかも
ごく限らせた人間にしか醸すことのできない
洗練された空気をまとった人しか
歩いていないように感じられるこの街。

日比谷公園を散歩していると
帝国ホテルが目に入った。

パンケーキ食べよう。
就職活動で歩き疲れて
東京のにいるうちに入ってみようと
帝国ホテルのパンケーキを食べたことを
急に思い出したのだ。

あれから10年近く経つが、
宿泊する機会は一度もなかった。
でもパークサイドダイナーのウエイターは
白シャツでデニムという
完全休日モードの私にもとても親切。

そうそう、皿の芯まで暖かい。
表面に凹凸の一切ない
優しい黄金色焼き色。
全く隙のない丸い形。
滑らかでしっとりしているという
触覚まで伝わるこの見た目。
見ているだけで
幸せホルモンのオキシトシン
全身を駆け巡るのがわかる。
人間の知覚は単純だ。

パンケーキとホットケーキの違いがわからなくても、スーパーで売っている粉では再現できないということだけはよくわかる。

あぁ、これを食べ終わったら
家へ帰るのだ。
金曜日に東京出張が入るようにあくせくし
そのまま土日を都内で過ごしたところで
私の帰る場所は地方なのだ。
リクルートスーツを着て
就職面接で話す内容を考えながら
これを食べていた頃とは違う。

私は今、働きたかった場所でもない場所で
あの頃、描いていた希望とは違う今を生きている。それが良いとか悪いかではない。

東京の、甘くて淡い、思い出パンケーキ


落ちてるようで落ちてない愛

テレビで観た、行列が出来るミートパイの店。

いつもそこにあるであろう行列を仕切るポールが並んでいる。


店はシャッターが閉まっているが

あと10分で開店時間、

どうせなら、と私が店の前に立つと

ただの通行人や、

人との待ち合わせを装っていた人が

キュー待ちだったエキストラのように

急に私の後ろに列を成す。


私の後ろに50過ぎくらいの夫婦が並んだ。夫が口を開く。

「ここいつも仕事で前を通るんだよ。列が長すぎて何の列なのかもわからなくて。」

「そういうときは確認してよ。いつも通るなら買って来てくれれば良いのに。」

「仕事中は並べないだろ。」

「並べーまーすー。」

「ま、そもそもあんまり興味がないからね。」


夫婦は、高校生が友達同士でアイスクリーム屋にでも並ぶかのように、祖父や娘にいくつずつ買って行くかという会話を続けていた。夫は、任せるよと言って、嫌な顔をせず一緒に並んでいる。興味がないのは事実なのだろうが、表情は穏やかで、他愛も無いこの時間を過ごすことへの嫌気は全く感じられない。


結婚で大切なことって、

なんだかんだでこういうことだと思った。

人は自分の「普通」しか知らない

親友と一杯やろうと
天ぷら屋に立ち寄った。
注文した天ぷら盛合せを待つ間、
瓶ビールを注ぎあい、時間を過ごした。

彼は神主である。
代々続く、自身の家の神社を継ぎ
家族とともに暮らしている。
私はサラリーマン家庭なこともあり、
純粋な興味から
宗教法人の経営のことや
日常生活について話題にしてきたことは
これまでもあった。
近況を伺うと
祭りや地鎮祭で忙しくしているそうだ。
いつもいつも、
私とは違う日常の話を聞く。

「ま、でも便利かもね。あんたと結婚したら、
ずっと家にいてくれるから。」

ケタケタ笑ってそんなことを話せるのも
もう10年近い付き合いだからだ。

「でも、そしたら、子供のために私は働き続けるかな。一般的な働き方のなんたるかを見せるのも重要でしょ

すると彼はグラスをカウンターに置き
「それはちょっと違うと思うな」
と前を向いたまま言った。
どちらかというといつも
うなずいて私の話を否定しない彼には
珍しい反応だった。

「じゃあ、たとえば家族経営の八百屋さんや、
老舗の小さな和菓子屋さんは一般的じゃないのかな。」

私は、彼とは大の親友だと思っていた。
彼について大概のことは理解し
許容できているつもりでいた。
しかし、
彼のその一言が、
神主である彼のこと、彼の家を
自分の世界とは一線を画すものだと考えている私を突きつけた

いつも通り穏和な表情の彼だったが、
私の言葉に隠された無意識に
気づかなかったはずがない。
その証拠に
彼は前を向いたまま黙っている。

「そっか。そうだね。でも、多様性だよ!
違った働き方をお互い見せられるじゃん。
子供は二倍お得!」

謝る代わりに彼の肩をポンと叩き
一瞬止まった空気の流れをかき混ぜた。
いやらしい自分に気づかないふりをして、
一緒にかき混ぜて、誤魔化した。

人が感じてる「普通」「一般」なんて
それぞれが互いに見えなくて
所詮、人はそれをぶつけ合うだけ。

自分もその愚かな一人だったのだ。









あたしの白い部屋

珍しく仕事が早く終わらせた。

3時を過ぎたあたりから

もう今日は集中できない、

脳からそんな信号が出ていたけれど

それに気づかないふりをして

カタカタとキーボードを打ち

眉間にシワを寄せて画面を睨んで過ごした。


木曜日はにくらしい曜日だ。

週の後半だ!と張り切ることもできれば

あぁ、まだ金曜日がある、と

憂鬱にもさせる。


ちょうど片道一時間でうちに着く。

ドアノブに鍵ではなく

定期を入れたパスケースを近づけて

自分の疲れの度合いを思い知らされる。


マイブームのたんぽぽコーヒーを入れ

冷蔵庫に入れてあるチョコレートを

包みの上からひとかけ割って口に運ぶ。


塩キャラメルの有機チョコレート。

カカオバターの甘さに混ざって

粒の大きい塩が一粒ずつ

塩味を主張する。


壁が真っ白な部屋。

冷蔵庫も衣装ケースもラックも

すべて白。

テーブルは白いガラス製。

その中で

エアコンが冷気を吐く音と

冷蔵庫のブーンという音だけが響く。


部屋干しの洗濯物、

積まれた書籍、

朝に出かけたままになっている

化粧道具。


私の部屋。

私の日常。

私が好きにできる世界。

舌が少しひりつくぐらいの

熱いたんぽぽコーヒーが

体の真ん中を通り過ぎると

足のつま先から徐々に

そこに本来あるべき何かを

取り戻したような感覚になる。


1日中、私は私なのだけど

そのうちの、こんなふとした瞬間、

私は私を取り戻す。


今日はもう寝よう。また明日が来る。


色褪せた花火

東京から実家に帰る新幹線の車窓。

乗車から時間が経つにつれ、吸い込まれるように暗い景色になっていくことで

日の入り時刻を過ぎ、

夜は夜らしく生活をしている町へ移っていくのだということを実感させる。

 

そう、夜は暗いもの。健全じゃないか。

昨日の夕方、銀座で接待を終えてから

私を配下に置いておきたくて仕方のない上司との

いつ終わるかもわからない反省会につきあって朝を迎えた

ぼんやりした頭で心底そう思うのだ。

 

無休できらめく町の生活は

一旦、進行方向向かって後ろに置いていく。

 

ふと窓に目をやると、

橙色の火花が空に丸い縁をつくり

ちらちらと消えていくのが見えた。

花火大会か。

故郷の町で、夏に開催されるもっとも大きなイベントだ。

次々と大きな花火が上がるはずなのだが

新幹線の過ぎ去るスピードが速いからなのか

目にしたのは、シンプルなその橙色の光だけだった。

 

新幹線を降り、ローカル鉄道の特急線に乗り換えて一時間。

いつもの同じ時間なら、

駅員とスーツの酔っ払い数人がいればまだマシな地元の駅のホームには

階下の改札口からぎゅうぎゅうと押し出されてくる人たちで溢れていた。

水色、ピンク、紫、黄色、いろんな浴衣の色が目に飛び込んできて

その流れ自体が、屋台に出ているピンポン玉救いの水槽の中のようだった。

いろんな色が、列を作って一定方向に流れていく。

 

浴衣の中高生カップル、小さい子どもを連れた家族連れが最も多い。

浴衣という特別な布に身を包み

「夏ならでは」を満喫し終えた高揚感が

夏の熱気で充満したホームを包んでいた。

 

その中の少数派である

普段通り仕事をしている駅員やサラリーマン、私を除いては。

こちらサイドからすれば

単に「ホームが混む・電車が混む」という事実だけを突き付けられ

全く迷惑な話だ。

電車を乗り換え、あと2駅進むというこの行為が

とてつもなく時間がかかることのように感じる。

 

向かいのホームの背後のビルの屋上に

一組のカップルがホームを見下ろしていることに気付く。

男は黒のストライプの甚平、

女は、私の人生では無縁レベルの濃いピンクの浴衣である。

お互い向き合って、

これから月9ドラマのようなラブシーン始めます!という空気が漂っている。

 

ほら、抱き合ったよ。チューしちゃったよ。

 

私だって彼らと同じような時代があったにも関わらず

なんだか遠い国の、異なる文化の暮らしの一部を見ているような気分。

 

たまにしか帰らない田舎にいるからなのか

人前チューが平然とできることへのルサンチマンなのか。

 

花火大会の日には、実家の2階の窓に顔をくっつけて

隣の家の木々で隠れる花火に、もどかしさを感じていたのに

いつから花火は「橙色の火花」になったんだろう。

 

中高生と言われた頃から15年もの間

花火に対するこの思考変化の代償に

どんなものが得られただろう。

何を感じられるようになっただろう。

 

実家の最寄駅に向かう電車がホームに滑り込んできた。

色とりどりのピンポン玉に背中を押され

私はまた、流れの一部になる。