人生ミルフィーユ

日々のふとした瞬間の重なり。

普通じゃないから、好きにさせてよ。

【「普通」って大嫌いだ】

芥川賞受賞作品「コンビニ人間」を読了。

ここ一年くらい、仕事関係の書籍とは別に

意識的に一定量、小説を読むことにしている。


トランプ大統領就任後から特にだけど

多様性がやたらと叫ばれて

みんながみんな役割を持って輝かなきゃ駄目だ!

と言わんばかりに登場人物みんなが大活躍したり

国の時代背景的にありえないだろ?というレベルに

多様な人種の人たちが起用されてたり

すんごいポリティカルコレクト…

…みたいな映画や小説が多くてどうなん?と。

それって多様性を描いてると見せかけて

みんなを同じテーブルに乗せて

こうあるべき!ってキラキラ世界の

特定の生き方を強要してるだけ。


比べて本作。本質を突きつつ淡々としてて痛快。


別に良いと思うんだよね。

みんながみんな特技があるわけじゃないし

居心地が良いと思う場所も生き方も違う。

それを認めて生きていくという選択をする人の存在も

許容できれば、多様性の本質よね。


普通●●。女なら●●。30代なら●●。

そうやって人の生き方に干渉して

自分の価値観を押し付けられることの多いこと。

わかるわーって一気に読んだ。

わかる時点できっと、私も「普通」からずれてるんだろうな。


ちなみに最近かけられそうになった呪いは

同期からの

「この歳になったら子供が2人くらいいて

家のローン払ってるのが普通だよね」である。


そーすか。としか言いようがないけど

それが普通なら、

私の価値観的には、普通じゃなくて別に良いです…

当たり前の幸せをくれる人と言うものかこれが

11月に大阪への出張が決まった。

ふと、学生時代の友人を思い出した。

ゼミが同じだった彼女は、

サークルの先輩であった旦那の転勤で

大阪へ引っ越して行った。


LINEで連絡を取ると

旦那は大阪勤務の後に異動となり

今は金沢にいるそうだ。

ついでに、今は子供が2人いることも知らされた。


30代にもなれば、珍しくないことだ。

過去の友人のことを思い出して

「久しぶりに会ってみたいな」と思うのは

自分だけなのではないかと気後れしてしまう。

結婚もせずに単調に仕事をする日々で

人生のステージが自分だけ変化していないような

相手に対して気まずいような

自分の現状が疎ましくなるような。


そもそも、友人全体の母数が少ない。

あの子は今は留学中、

あの子は今は海外赴任中、

あの子は東京で残業三昧だ、などと考えていると

ちょっとご飯でも、と言える友人は皆無だ。


そうなると、やっぱりこいつだ。

学生時代の共同研究者。

なんだかんだで月に一回くらい

嫌な顔をせず付き合ってくれるのだ。

脈絡もオチもなく、

ただ聞いてほしいだけの女の話に

男のくせに嫌な顔をせずに付き合ってくれる。

沈黙になっても苦ではない。


なぜか、こいつと食べるご飯は進むのだ。

1人で食べるよりも

ご飯の味がちゃんとする。お酒も美味しい。

女同士特有の、

互いの現状を競い合う空気も

相手の顔を伺いながら

いかに詮索を入れるかという卑しい空気もない。

こいつだからなのか、男だからなのかは

わからないけれど。


思えば、家族が揃って食事をするような家庭に育たなかったため、

誰かと相対して食事をするという機会が

幼少期から少なかった。

その機会があったとしても

兄は無口だったし

私と何を話して良いかわからない父は

私との間に新聞紙の壁をつくって

目を合わせようともしなかった。


こいつと食事をしていると

これ美味しいね、とか

今日こんなことがあってさ、とか

そんな些細な経験が、私にはなかったことに

改めて気づかされる。


ひたすら好きなものを食べ

仕事のこと、映画のこと、歴史のこと

互いの話したいことを話し

またねと別れる。


その「また」は比較的すぐ来る。

こんな確信が持てる関係は

目に見えないものは信じない私には

とても貴重なのだ。

だって、ありふれた当たり前は

決してその辺には落ちていないことを知っているから。


比べずにはいられない性

年齢の割に稼ぐほうだ。

あまり時間にも縛られず

プライベートを楽しむゆとりもある。


大好きな人もいる。

近く一緒に住む。


全部自分で選んでる。

何をして働き、誰を愛し、どこに住み、

全部自分で選んで、今の私がある。


だけれど、

全てを自分本意で決められるわけじゃない。

例えば、家が貧しいからとか

継がなければいけない家業があるとか

一人っ子だからとか

いろんな条件で生きていて

その中で、瞬間・瞬間の

「最善」と思しきものを選ぶのだ。

誰にでもあることだ。


裏返せば、

環境や社会によって

選ばされている選択もある、ということ。

結果として、自分で選んだものでも

「もし違う状況だったら」と

選択を悔いたり

選ばなかった選択肢に

思い焦がれたりする。


SNSで流れてくる

もう10年以上会っていないような

かつての親友の今。

起業して、成功した事業を

華々しく投稿したり

大企業を辞めて

好きなことをするために留学をし

現地の美しい風景を投稿したり。


生きてれば、うまくいくことばかりじゃない。

この子たちにも

それなりの苦しさや不満はあるはず。

わかっていても

なんだか自分だけが

思い通りにならない世界にいるみたいに思う。


何かを得れば何かを捨てなきゃいけない世界で

私は私の最善を生きているはずなのに。


人に恥じるような生き方はしていないし

この子たちの生き方と優劣がつけられるわけではないけれど

自分で自分を納得させるのが難しいのは

なぜなんだろう。

脱・母娘の呪い

子供にとって母親の影響力は大きい。

家庭で過ごす時間の比重が

父親より大きいことによるのかもしれない。


私はそういう意味では母っ子だ。

料理が上手で、自慢できる人だし

不自由なく、私を育ててくれた。


感謝している。とてもね。

でも、今になって思う。

母のことを惨めな人だと思うようになったのは

一体いつからだっただろう。

その気持ちに常に鷲掴みにされていた。


母は孤独だった。

家のことに無関心な父とは諍いが絶えず

父にどんなひどいことを言われたのか

私たちの物心がつかないほどの過去まで遡って

事細かに、何度も話した。


実際に父の母に対する態度はひどいものだった。

今時で言う、完全なるモラハラだ。

私が中学生くらいまでは

母もそれに大声で応戦していたが

いつしか、父の怒鳴るのに対し

突然人形にでもなってしまったかのように

ドローンとした顔をし

部屋に立てこもったり、家出をしたりするようになった。


無関心を装うことで、自分を守るようになった母を見て

私の中で父に対する嫌悪感が募り

母をこれ以上に孤独にはしておけないという

焦燥感が募った。


祖母が認知症になった。

兄が引きこもりになった。

母にとって、心労が増える出来事が

我が家には多すぎたことも

その感情に拍車をかけた。


相変わらず、

母は自分に対する父の悪態を

私にそのまま垂れ流す。

兄の気分が不安定なことの不満や

自身の子育ての過ちについて

私に同情を求める。

「私はお母さんの味方だからね」

「お兄ちゃんも子供じゃないからさ」

「お母さんよく我慢してるよ」…

私のこんな言葉に、

一時的にすっきりした気分になる、ってことを

何回も何回も繰り返した。


お母さんは、

離れて暮らす私の幸せだけが支えと言いながら

そうやって幸せになろうとする私に

罪悪感を与えて

私の心を、頭の芯を縛り付けてるの

わかってるかな。


私、ちょっと疲れちゃったんだ。

結婚生活30年超、

お父さんと、理解し合うとか

妥協点を探り合うとか

そういう努力はした?

お兄ちゃんとどう関わっていくかなんて

本来は私に相談することじゃないよね?


お兄ちゃんは、私みたいに強くなかった。

だからお兄ちゃんは自分なりに

負の空気に包まれた家の中で

自分を守ってるんだと私は思うよ。


私は結婚も子育ても経験してないから

「お母さんなりに頑張った」と言われれば

何も言えないけどさ。


家族それぞれ、見えてる景色が違うから

自分の基準を相手に求めるのは

本当に難しいね。

みんな

こんな状態を望んで過ごしてきたわけじゃないし。


でもねお母さん

とりあえず、私は疲れちゃったんだ。

あなたは不幸の渦の中にいると言う。

だけどそれはね

あなたの一つ一つの

行動の選択の結果だよ。


こんなことを言うと

「家族のために自分を犠牲にしてきた」とか

あなたは感じるのかな。

それとも

「頭の良いあなたにはわかりっこない」かな。


どちらも、現実に返ってきそうな答え。

私はそれが、本当に怖いんだ。

だから、事実をあなたに突きつけることは

残酷すぎると思っちゃうんだよね。


私は、私の人生を生きるよ。

幸せが何なのかをしっかり考えながら。

あなたの時間とともに

私の時間も、同じだけ流れているからね。


あなたに笑顔になってもらいたかったのも本当。

だけど、それで自分が磨り減っていくのを

気づかないふりして過ごすのは

もうやめるんだ。


消せない罪悪感を抱えてるからこそ、ね。




正しく、美しくいようとしないこと。

新学期が始まるにあたり

8月31日は高校生以下の若者が

一年で最も自殺する日だということで

年々、若者の心や悩みにフォーカスする

特番が増えており

なんとなく眺めていた。


典型的ないじめや先生の何気ない一言、

理由はよくわからない  等

学校に行けなかったり

死にたい願望の理由はいろいろだ。


死にたいとまではいかなくても

死んでも別にいいかな、とは思ってたっけ。

特に中学時代はいじめられて友達もいなくて

一人で給食を食べたり

体育の卓球で誰もペアを組んでくれなかったり

そんな日々を過ごした。


いじめられる理由なんかない。

こんな下等な奴らに。

寂しいとか嫌だなとかそんなことより

ただただ、周囲を蔑み

透明人間になる全身マスクを着たような気持ちで

毎日を過ごした。

蔑むことを正当化するため

成績だけはトップを維持した。

学校だけは休まなかった。

「下等な奴ら」に屈しないために。


体が毎日がちがちに固まっていた。

意図して心身を凍らせるには

無意識にエネルギーを要しているらしい。


いじめの事実以上に

「白子ちゃんかわいそう。いじめられっこ。」という、第三者からの目線。

私が一番死にたいと思ったのは

こういう目線を感じるときだった。

私がいじめられていることを

教師にも親にも言わなかった。

全く隠せていなかっただろうが、

知ってか知らずか

私を心配するようなセリフを

親から聞かなかったことだけが救いだった。


親に心配かけたくないという気持ちをじゃない。

ただただ、バレたらダサいじゃん。

それだけだった。

要は、プライドが高く、歪んでいたのだ。


学校なんて行けなくて大丈夫、なんて

時が経った大人だから言えること。

きっと、今みたいに

ありとあらゆる外の世界と繋がれる時代だって

「学校は行けないとだめ」という圧倒的な価値観が世の中、特に中高生の生活を占めていて

行けない自分の出遅れ感や

道から外れてしまった焦燥感は

相当なものなのだろう。


勉強ができることなんて

社会に出れば大して重要じゃないけど

私は勉強することで

その焦燥感をぎりぎりの心境で紛らわせていただけのこと。


学校には行けたけど、健全ではなかった。

なんとなく人をはねつけて

自分を守ることを覚えてしまったから。

思春期の価値観は後を引く。


きっと学校へ行けない人は

私より美しく、優しい。

人も自分も傷つけない方法として

自分を物理的に囲い込んでいるのかもしれない。

当然、気持ちは苦しいだろうに。


学校へ行きたくないなら行かない、は

心がそう思うなら正解。

人生においてその選択をするだけのこと。

あとは、その優しい、美しい心を持ち続けるために

いい感じに「正しくいようとしないこと」。

私がやってきた「人を蔑む」はやりすぎ。

いい感じに、が肝心。


どうせいじめてる側だって

大した理由なんかない。

なんとなくとか、誰かがやってるから、とか。


こう言っては何だけど

いじめる側が自分じゃなくてよかったねって

相手を小馬鹿にして

自分をほめてあげてほしい。



書くことと私

小学校低学年のとき

宿題でもないのに絵日記を書き漁っていた。

一年生の夏休みの読書感想文で

たまたま大それた賞をもらった私は

それで気分を良くし

毎日毎日絵日記を書いていた。


一日七ページほど。

その日あったこと、家族との会話、友達とのやりとり…

まだ習い事なんかしてなかったので

小学一年生が書くことなんてそれくらいだ。

ページ数が多いが、特筆するような出来事が毎日あったわけではない。


だけど、当時担任だった国語の先生が

毎日毎日、丁寧に赤線を入れ

コメントを書いてくれるのが無性に嬉しかった。

手元に返ってくるノートには

赤い波線や花丸でいっぱいだった。


考えて、ペンを動かして、活字化すると

自分の考えが、発言が、その日の行動が

形になる。

頭で浮かんだことをそのまま声にして

言葉にするよりも

冷静で、嘘のない形。しかも残り続ける。


中学に上がった段階で

私のものの書き方は大きく変わった。


中学校では、毎日提出する日誌があった。

当時、私には友達がいなかった。

特段、いじめと呼ばれるようなひどいことはされていないものの

日中はほとんど人と話すことはなかった。

あ、でも無視をいじめと取るのであれば

あれはいじめられていた、というんだろう。


日誌は、三行日記のようになった。出来事だけをただ並べていった。

担任は、一応見ているよ、の印に

無機質な日付印でそれに応えた。


一方で、誰にも見せることのない

小説めいたものを書いて

机に隠していたのもこの頃だ。

同世代の少女と水族館のイルカの交流物語で

今考えるとありえない物語展開がてんこもり。


だけど、静かにペンを動かしているのが

なぜか落ち着いた。

何のためにとか、誰かに見てもらうとか

縛りの一切ない、ただ書くという行為が許される

ノートの広さ分だけの自由空間。


今考えるとあの頃から

書くことに、同じことを求めてる。


どんな風にでもなれる。

どんな風にでも生きられる。

そう思わせてくれる自分だけの領域。

ずっと私を、ちょっとだけ生きやすくしてくれていた「書くこと」に

どんな変化が生まれるか噛み締めながら

私は、ちょっと生きづらい現代人をやりつつ

お付き合いしていくのでしょう。










何にだってなれる

どうにでも生きられる


そう思わせてくれる

自分だけの領域。

戒めと快楽の天秤

身近な人が命に関わる病気になったとき

その治療のために必要な

つらい闘病生活を目の当たりにしたとき


ああ、私は気をつけなきゃ、と

なぜかその事実を教訓にしなければいけない気持ちになる。

その病気の原因も明確でないにも関わらず

まず「気をつける」の矛先が

真っ先に向くのは大抵の場合 食べ物だ。


お酒、コーヒー、甘いもの…

健康本に載っている、

健康のために自粛すべき食べ物と言われるものはいろいろある。


母がお菓子作りが好きだったためか

私は甘いものが好物だ。

ブログのタイトルで

人生をミルフィーユに例えるくらいである。

その母が病になったのだから

甘いものはその原因かも…と

結びつけることは容易にできる。


だけど、

完全に「不健全なもの」で片付けられない存在だ。

だって、甘いものを食べているあの時間

誰もが経験があるであろう

優しく心が緩むあの時間は

事実として、日常の細やかな幸せになっている。

それを幸せと感じる気持ちは、

そこに確実に存在している。


商談途中でお茶菓子として出される以外に

甘いものがある空間で

気持ちがせかせかしていることはほとんどない。


母がよく焼いてくれたチーズケーキを食べる昼下がり

女子会と称して、パンケーキをつつきながら

正解のない恋愛話を続ける夕暮れ時


甘いもの自体が、特別なものでなくてもいい。


たとえばスタバのパウンドケーキが共にあることで、

家で一人でいては気の進まないような仕事にパソコンを立ち上げてみるところまでを行動に移すという、気持ちのゆとりが生まれるというようなこととか。


ふとケーキの中の栗に気づいて

もう秋か、と感じることとか。


将来に向けての倹約は大切にしたいが

日常の細やかな幸せに罪悪感は感じずにいたいと思う。


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